幼い頃の人質暮らし、度重なる敗戦、我慢、忍耐。
これらの事を、幾度となく経験してきた家康だから、生涯勉強、研鑽を重ね、江戸時代の幕開けを迎えることが出来たと思います。
今回は、将軍職を息子秀忠に譲る頃の、家康が、新たな知恵、後学のためにと、会って、教えを乞うた人物を例とし、家康の勉強熱心振りを学ぼうと思います。
関ヶ原を勝利、征夷大将軍となり国を治める力を持った家康でしたが、その後も、僧や兵法者、若手の学者等に会い教えを乞う姿は変わりませんでした。
この時、周りの意見は、さすが親方様という者と、これ以上まだ天下を治める気なのか、という二つに分かれました。
この時、家康は開国の準備を進めており、人材登用も、関ヶ原前とは打って変わり、戦のない世を作るためのものに変わっていきました。
一例ですが、徳川埋蔵金で知られる大久保長安などです。
長安のときも、というか長安のときは、やはり周囲の反対がありました。
というのも、それまで名前も無かった?取られた?長安なんて信用できるのか、という事でした。
長安の場合、家老格の大久保家からの推薦であったため、すんなりいったんですが、普通なら怖くて手を出さない所を、家康自身泰平の世に照準を合わせ、即決で起用したところが勉強熱心でなくて、どうして出来ようか!!!と強く言いたいのです。
しかも家康は、物の数分程度の対話で、長安の人物を測り起用するところまでいきました。
家康の場合、責任は自分が取るという心構えがあったからかもしれません。
憶測ですが。
今日の日本でも様々な、問題が渦巻いております。
色々と難しい問題ばかりかもしれませんが………
私は私の立場で、責任感を持ち、日々進んで参る決意です。
では、また!
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