お久しぶりです。この度は、SONYが大変な事になっていますね。
しかし、欧米、アジア含めて7700万人の個人情報流出とは(トホホ…)
国際社会ということを改めて、思い知らされました……
それに因んで、今回は、家康が開国する際の一例を挙げてみたいと思います。
家康が関ヶ原後に、ウィリアム・アダムスというイギリス人を側に置いて、日本人の妻をもうけさせることまでしたのですが・・・
キリシタン(キリスト教の信者)問題等、複雑な事情が絡み合い、側近家老からは反対の声、ポルトガル系のキリシタンからも反対の声と、ウィリアム・アダムスを側に置く事を頑なに反対されました。
しかし、外国事情が知りたい、開国したい家康は、半ば無視する形でウィリアム・アダムスを置き、三浦安仁(みうらあんじん)という日本名を与えました。
なぜ、周りが反対するかは、さて置き、胸襟を開いた対応には、さすが!!大御所!!!
と言いたいですが、この決断には、キリシタン問題を見越しての決断だったと思います。
ポルトガル等のキリスト教は国力から考えて、当時のイギリスの国力に劣っており、そちらに偏るよりも、イギリスと、三浦安仁を通じて国交を結んだ方が善いと考えました。
その通り。あの時、ポルトガル系にやられてたら、いまだに日本は植民地かも・・・
当時は人殺しが当たり前だったので、今より恐ろしいぃぃぃ.・:’
これからは当時以上の国際社会になりますので、家康以上の度胸のある人間、それを支える参謀格の人間が必要です。
敵を倒したければ、敵を知れということで、ハッカーを自分のとこに、雇えば良いんですよ!!
アメリカなんかは、ハッキングの試験まであるみたいで。
そこまでやっても手を焼くんだから、やり過ぎくらいが丁度良いってことでしょ!!
目には目を!歯には歯を!!
2011年4月28日木曜日
勉強熱心な家康。
幼い頃の人質暮らし、度重なる敗戦、我慢、忍耐。
これらの事を、幾度となく経験してきた家康だから、生涯勉強、研鑽を重ね、江戸時代の幕開けを迎えることが出来たと思います。
今回は、将軍職を息子秀忠に譲る頃の、家康が、新たな知恵、後学のためにと、会って、教えを乞うた人物を例とし、家康の勉強熱心振りを学ぼうと思います。
関ヶ原を勝利、征夷大将軍となり国を治める力を持った家康でしたが、その後も、僧や兵法者、若手の学者等に会い教えを乞う姿は変わりませんでした。
この時、周りの意見は、さすが親方様という者と、これ以上まだ天下を治める気なのか、という二つに分かれました。
この時、家康は開国の準備を進めており、人材登用も、関ヶ原前とは打って変わり、戦のない世を作るためのものに変わっていきました。
一例ですが、徳川埋蔵金で知られる大久保長安などです。
長安のときも、というか長安のときは、やはり周囲の反対がありました。
というのも、それまで名前も無かった?取られた?長安なんて信用できるのか、という事でした。
長安の場合、家老格の大久保家からの推薦であったため、すんなりいったんですが、普通なら怖くて手を出さない所を、家康自身泰平の世に照準を合わせ、即決で起用したところが勉強熱心でなくて、どうして出来ようか!!!と強く言いたいのです。
しかも家康は、物の数分程度の対話で、長安の人物を測り起用するところまでいきました。
家康の場合、責任は自分が取るという心構えがあったからかもしれません。
憶測ですが。
今日の日本でも様々な、問題が渦巻いております。
色々と難しい問題ばかりかもしれませんが………
私は私の立場で、責任感を持ち、日々進んで参る決意です。
では、また!
これらの事を、幾度となく経験してきた家康だから、生涯勉強、研鑽を重ね、江戸時代の幕開けを迎えることが出来たと思います。
今回は、将軍職を息子秀忠に譲る頃の、家康が、新たな知恵、後学のためにと、会って、教えを乞うた人物を例とし、家康の勉強熱心振りを学ぼうと思います。
関ヶ原を勝利、征夷大将軍となり国を治める力を持った家康でしたが、その後も、僧や兵法者、若手の学者等に会い教えを乞う姿は変わりませんでした。
この時、周りの意見は、さすが親方様という者と、これ以上まだ天下を治める気なのか、という二つに分かれました。
この時、家康は開国の準備を進めており、人材登用も、関ヶ原前とは打って変わり、戦のない世を作るためのものに変わっていきました。
一例ですが、徳川埋蔵金で知られる大久保長安などです。
長安のときも、というか長安のときは、やはり周囲の反対がありました。
というのも、それまで名前も無かった?取られた?長安なんて信用できるのか、という事でした。
長安の場合、家老格の大久保家からの推薦であったため、すんなりいったんですが、普通なら怖くて手を出さない所を、家康自身泰平の世に照準を合わせ、即決で起用したところが勉強熱心でなくて、どうして出来ようか!!!と強く言いたいのです。
しかも家康は、物の数分程度の対話で、長安の人物を測り起用するところまでいきました。
家康の場合、責任は自分が取るという心構えがあったからかもしれません。
憶測ですが。
今日の日本でも様々な、問題が渦巻いております。
色々と難しい問題ばかりかもしれませんが………
私は私の立場で、責任感を持ち、日々進んで参る決意です。
では、また!
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